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先月、8月5日。そろそろお腹蹴らないかなーと思って、じっと横にになっていると、かすかに「モコッ」という動き。違うよね、ガスかしらんなんて思っていたけど、日に日に動きが激しくなり、今では触っていなくてもお腹が動くのが目で見てとれるほどに。今は晩ご飯後の満腹感が非常に苦しく、蹴られると拷問のよう。
お腹の中に何やら生き物が生息しているという感覚。それはとても不思議な感覚。
「妊娠している」という分かったとき、それまでの自分とは全く別の生き物に生まれ変わったような、なんだか信じられない気分だった。お腹の中からじわーっと湧き出てくる幸福感、何としても守らなくてはという強い堅い使命感。それは今までに味わったことのない感覚で、自ら生産される愛情がひたひたと全身を埋め尽くし、自分自身が子宮に包まれているかのような。そういう感覚に毎日浸っているからか、もちろん不安がないというと嘘にはなるけれど、これまで悩んでいたこと焦っていたことが、正直どうでもよくなってしまった。ちょっと前までは、なにがしかにかき立てられているようだったのに、なんとかなるさ、なるようになるさ、と思えている。いや、なんとかしなくてはならないことは、山のように積まれているのだけどね。
とは言えやっぱり結婚をすると、善く悪くも、女は自分の置かれる状況、環境、心の持ち様が著しく変わるものなんだなとしみじみ思う。結婚を決意すること、これまで他人だった人と将来を見据えて共に生活をしていくということ、妊娠すること、育てるということを考えること、そして親、親戚の将来のこと。時系列で見ると、簡単な一つの流れのようなものだけれど、それぞれに大きな責任があり、幸せなことではあるけれど、落ち着く間もなく遭遇してしまうことに戸惑ってしまったり、そこに激しく葛藤してしまったりする。いやいや、自分の責任なんだけれどね。それに仕事のことを考えると(仕事を持ちたい訳では決してないのだけれど、やらざるを得ないし、やるとしたら、そこに自分の意志が投影されていたいし!)制限が多くてとにかく困る。だから、結婚するまでは自分がそんな風に思うなんて信じられなかったけど、正直、独身の女の子が羨ましくなる事があるんだよね。あぁ〜夜中までカラオケで騒ぎたいな〜とか、思いっきり買い物したいな〜とか、華やかな場所でオシャレしたいな〜とか、時間関係なくもっと自由に動ける仕事ができたらな〜とか。いろいろ思う。
かといって、全ての独身女子がそれを叶えているかというとそうでもないだろうし、今の身分を投げ打って、自由を切望しているかというと、それも全く違うしね。一時の無いものねだりみたいな物なんだろう。しかし、客観的に見て、女一人一人の人生って、こうも違うんだな〜と今になってよく分かる。結婚した女子が結婚した女子と話したがったり、独身女子が独身女子とつるみたがる気持ちもね。
ただ時々、結婚した女は疲れている、独身女は寂しいとかネガティブな言葉を聞くけれど、それは絶対違うと思いたい。絶対的にどちらも素敵な人生で、それぞれが個々にしかできない貴重な経験をしているし、それがまた、その自身や人生を輝かせているのだと信じたい。
今回の記事もくどくなってしまったことに反省・・・。くさいくさい。笑
仕事がなかなか決まらなかったり、決まっても、なんとなく内容がしっくりこないとか、面倒な人間関係や、人の価値観が受け入れられず、苦しんでばかりいたような気がする。
自分と社会との波長が、まるで食い違っているような違和感。
それでいて、ただ自分が甘いだけで修行が足りないのかなという不安。
いやでもなんか、それも違うような・・・そんな自問自答の繰り返し。
落ち着いて考えてみたところで、
私、これからどういう風に生きていこう? というか、これから何がしたいんだろう? と、とりあえず原点に返ってはみるものの、
ちっとも答えが見つからない事にもまた焦る。
というか、今でも焦ってる。
私は自分が思っている以上に仕事で成功したかったのだろうか。
こう言っては、どれだけ自分が情熱家なのかをアピールしているようで恥ずかしいのだけど、それが例えば仕事ではないにしても、何か自分の自信になるようなことを成し遂げたかったような気もする。
「結婚」したことについて、いち「主婦」になったことに対して、私はとても満足している。これ以上の人はないというくらいに素敵な人と出会えたことに感謝しているし、家族になることができて私は幸せだし、これからもずっとそう感じるのだと思う。ただし、「結婚」「主婦」が人生の最大の目標だったかというと、それはちょっと違う。主婦になったことで、諦めなければならないことは確かにあったけれど、でもそれは自分でも納得しているつもりだし、それについて後悔はまったくしていない。
ただ、結婚前に「編集者」になるつもりで出版社に務めていたのに、
結婚と同時にその夢を中途半端に諦めることになったのは、
想像以上の「穴」を私の中にもたらしたと思う。
編集者の素質はなかったかもしれないけれど、
素質がなくても続けていれば・・・と、もがきながらも、なんとかしがみついていた。その目標を、結婚を理由に、自分で手放したとは言え、あっさりと失うことになり、その後の進むべき道を見失ってしまったというのだろうか。
こっちに来てから、前職と似た仕事をと思って、広告&印刷会社に務めたが1年で辞めてしまい、その後、趣味の延長で、花屋に務めてみたけれど、どうもしっくり来ず・・・。
先日「なんだか貴方は血迷っているみたいね」と母に言われ、
その言葉の刺にムッとしてしまったのだが、当たらずと言えども遠からず。
何をしても自分が自分に納得できないのだ。
私はどういう風に生きていきたいのか。
大袈裟なようだが、難しく考えたいわけじゃない。
本当は、「仕事で成功」みたいな、偉くなりたいわけでもないと思う。
どうも、この考え方は混乱してしまうばかりで抜け出せない。
昔からだけど、take it easy が私はとても苦手だ。
どうしても答えは出ないけれど、
ただ、ここ最近自分にとって信じられないくらいの素晴らしい出来事があり、
それを機に、少し心境も変わってきたような気がします。
実はそれは「妊娠」なのだけど、それについては、また後ほど。
そればっかりになって、気付けば1年も日記を書いていませんでした。
この1年を振り返ると、本当に激動…。
人生や今後の目標だとかが一気に変わってしまった。
まず、1番大きかったのは何といっても「結婚」。
正直、去年まではまったく考えていなかったことでした。
彼と出会ってから(というか、再会してから)
「結婚」が決まるまでは一瞬の出来事だったような気がします。
たくさんの方にお祝いの言葉をいただけることは
本当に嬉しかったのですが、
それと同時に、今まで考えたこともなかったような責任の重さに
正直、身動きがとれなくなりそうなこともあり……(笑)。
でもそれは、今まで自分がどれだけ大事に守られて生きてきたかを
認識した、いいきっかけでもありました。
今でも、本当に自分は甘えていたんだな〜とつくづく感じますが、
日が経つにつれ自分の家族はもちろん、
彼の家族に対する愛おしさが温かくじわじわ湧いてくるようになり、
自分もいい家族を作りたいと心から思えるようになりました。
彼が広島在住だったことから東京を離れることになり、
結婚と同時に大好きだった仕事を辞めてからなーんにもしてません。
ただ、前職がいろいろなプレッシャーだらけだっただけに
ほぼストレスなく生活できることが
こんなにも健康的だなんて思いもしませんでした。
とは言っても、来年からは何かしら働きたいので
ボチボチ本腰を入れて就職活動でもしようかなー。と思っているところ。
東京が大好きだったので、とっても恋しいけど、
仕事がきっかけで広島の良さも少しずつ発見できるといいなぁと思っています。
山本美次氏の個展へと銀座へ。30年間、林檎(それもスターキングのみ)ばかり描き続けているという彼。死んだような生きたようなどこまでも深い青を背景に、林檎がまるで意思を持っているかのようにキャンバスの中でごろごろと転がっている。「天」というタイトルでは愉快そうに、「星」というタイトルでは静謐に。「風」というタイトルではたゆたうようにやわらかに……。「林檎にとりつかれてしまったんだ」困ったような表情で微笑む山本氏に、帰り際、林檎を一ついただいた。そんなこんなで林檎片手に、普段縁のない銀座をぶらぶら。そしてちょっと遅いランチをしに大好きなカレー屋、ダバ・インディアへ★ そこで、彼に撮られた写真が、さっき見た絵のようで笑う。この私の不機嫌な顔は素(笑)。タイトルは「林檎とあたし」と命名。彼の作品だけどね。 山本美次作品展 テーマ「風」 11月24日(11:00〜20:00)まで銀座のPOLAビル4Fで開催されています。
ここ最近「書きたい」とか、「吐き出したい」と思う様なことがなく、
ブログ更新も御無沙汰でした。
何年か前に比べると焦燥感とかもないし、卑屈になることも少なくなり、
よきことだなぁー心が健康だぁーなんて呑気に考えていたります。
ここ最近のお楽しみは、週末に阿佐ヶ谷駅のすぐ近くの喫茶店で
生クリームがかかったコーヒーゼリーの上に、アイスクリームがのっかったやつを食べること。
あれ、最高。
その喫茶店で私はよく手紙を書いたり、仕事の書類を読んだりしています。
喫茶店の窓から見る景色。
通りすがる人を目で追ってみたり、
外の木々を眺めながら物思いに耽るのもいい。
窓越しに猫と見つめ合ったり・・・ね。
仕事は相変わらずバタバタだけど、息の抜き方がだいぶうまくなったような気がする。
9月はありがたいことに4連休が2回ももらえるので、
今は、それを楽しみに日々を過ごしてるという感じ。
2回目の4連休は広島に行く予定♪
9月はカウントダウンの日々になりそう。
「つらい」と感じれば感じるほど、ここで投げ出しえはいけないという意地。
「逢いたい」と思えば思うほどに、たちはだかる現実。
「ありがとう。ごめんなさい」と思えば思うほどに、素直になれない私。
生きてるって、まったくもってスムーズじゃない。スマートじゃない。
広島に飛んでいきたい。
別府の温泉にダイブしたい。
あ。この気持ちだけはホント。
広島へ行く際、お世話になる人にお土産をと思い、
駅で船橋屋の葛餅と、江戸っぽい雰囲気の
「線香花火」のイラストが描かれた便箋を買った。
広島から東京へ戻って数日後、その人から手紙が届いた。
手紙のイラストは、見覚えのある「線香花火」。
はちきれんばかりの封筒を開封すると、便箋が10枚も入っている。
読めば、私への手紙で便箋をすべて使ってしまったとのこと。
笑いが止まらなかったし、この人には適わないと思った。
ひとしきり笑ったあと、急に苦しくなって涙がこみあげてきた。
その日は久しぶりに駅の下のBARに行って
、一杯だけお酒を飲もうと思っていたけど、
気持ちを沈めるにはアイスコーヒーだと思い、喫茶店に変更。
ところが喫茶店に入ってカウンターの席につくと
隣の人も、そのまた隣の人もアイスコーヒーを飲んでいる。
同じものを頼むのはなんだか癪で「レモンスカッシュ」を注文した。
甘くて酸っぱい懐かしい味。薄く黄色みがかった透明の液体が、
ピシッピシッと、ほんのわずかに喉を刺激しながら胃の中に落ちていく。
そして、ゆわりゆわりと漂うグラスの中の気泡と
壁にかかった柱時計を交互に見つめながら、
電話をかけるタイミングを見計らう。
きっとまだ仕事中だから、23時45分くらいだったら大丈夫だろうか。
いつもみたく、また長電話になるだろう。
帰る際は母を起こさないよう、気を付けて玄関のドアを開けなくてはならない。
そんなことを考えながら、「レモンスカッシュ」をもう一杯注文。
時計の針は23時30分を指している。
別府熱が冷めない。
たった3泊4日の帰省(旅)。
それも丸2日間は移動だったから、実質2日間しか別府を味わっていない。
それなのに、こんなにも別府のことを考えてしまうなんて。
実際に過ごしているときよりも、こうして東京に戻って思い返すほうが、土地の暖かみを実感する。
山と海。暮らし、そして温泉。
開けた爽やかさと、歴史の重みが共存する場所。
空気はつねに、湯けむりの蒸気でしっとりとしている。
それが肌と心にやさしく触れて、じわっと浸透していく。
それから何と言っても人でしょうか。
愛する人たちと過ごすために帰ったはずが、また新しい出会いがあり。
誕生したばかりの命、私の倍以上は生きているであろう方。
それなのに不思議と懐かしさを感じたのは、
そこにいる人の心が皆、別府に属してしまっているからなのでしょう。
人は私に素直になれという。
意地張りっこなんだと。
しかし素直っていったいなんだかよく分からない。
心のままに生きていたらこうなるだけだ。
これも素直っていうんじゃないのか。
ただし、まぁ、可愛くないんだろうなとは納得する。
今日は咽喉がいがいがだった。
アメちゃんを3つ舐めた。
りんごとりんごとみかん。
ダメだ。息苦しい。
たぶんどうしてもムリなんだ。
これはもはやアレルギー。
そして、いつの間にこんなにも浅はかになってしまったのか。
考えることをやめてしまうなんて、人生を放棄したも同然だ。
何が必要で何が不要なのかも見境いが着かない。
冷たい季節の霧雨は、かまいたちのようだ。