確かに疲れていたけど、その日も今日も落ち込んでいるワケではなかった。
ただ後から後から溢れ出すアツイモノから私は長期に渡って、自分がとても傷ついていたことを知った。
『傷ついた』原因を誰かに素直に言えるならそれはどんなに楽なことだろうか?
私は例えば『傷つく』ことのような本当の想いなどをこれからも絶対に人には言えないし言うこともないと思う。
言いたくないわけじゃない。でも言えない。
出来れば分かって欲しい。でも言えない。
それはしょうもないことでウジウジと気張ってる自分を見せて、相手を落胆させて自分の価値を下げたくないというただの見栄っ張りと、こんなに絡まった糸のように複雑な心の中身を代弁してくれる言葉などある筈がないからだ。
本当の想いと、吐き出された言葉の意図するモノとのギャップにガッカリするくらいならば、私は怒りや苦しみを収めるタダの箱になって、箱いっぱいに何かを感じ取って痛むことを選びたい。
『人の腹黒い部分を見抜ける人は、その人自身がそうであるからだ。』
と、なにかで読んでとても納得した。
そうであるなら私は、とことんド腹黒い奴だということになるし、自分でもそれはだいぶ前から認識しているつもり。
また、『腹黒さ』の上に『潔癖』などという全く逆のものまで装備してしまっている私は、人の何気ない言葉やしぐさに含まれるヨコシマなものを1ミリたりとも見逃すことが出来ない。
私は心が狭い。
それが原因で人と距離を置き続けていると、いつの間にか自分が孤独になっていることに気づく。
腹黒い上に心が狭い。そして孤独。
この負のサイクルはいったいなんなんだろう。