一定期間更新がないため広告を表示しています
草むらに寝転がって全身を伸ばす。
肌で感じる外の温度が心地よい。
目を閉じて、
緑の生命を背中に感じて、
光を全身で受けて深呼吸。
そして柔らかな風にキス・・・
したいっ!!
春は妄想が広がります。笑
シュガートーストにハチミツとシナモンを大量にふりかけたような日は、
ミルクも砂糖も入れない、苦いコーヒーを。
ぐるぐる
ぐるぐる と
あたまのなかで スパイラルを えがく
平常心を保つ。
生活の一部だけに色をつけて、残りをぼやかすのはやめよう。
一瞬一瞬に色を。
今日という日が虹になるように。
◇
昨日、24才になりました。
あたたかい言葉、おくりもの、そしてあなたの声をありがとう。
これからもきゅるきゅるな『カメレオン』として、七変化しながら生きてゆきます。
去年会えなかった人、そろそろ会いましょう。
最近会った人、また会いましょう。
この間、輪郭の話をしたけど、またいろいろ考えてしまった。
輪郭を感じてしまう人って、きっと自分に刻み付けてしまっちゃった人なんだ。
ハンコ注射のように。タトゥーのように。
以前よりも、大事だとか必要とか感じなくても、常に輪郭を伴ってるような人もいて、
それは過去に付き合ってきたオトコノヒトだとかがそうなんだけど。
やっぱり何かしら刻まれてるんだね。
だって、その人のことを考えた時間ていうのは、
それぞれに一生懸命で、そしてたっぷりあったのだから。
で、最近感じていて、とてもイイのが、
『人を自分に刻みつけていく途中』
ここ最近の出会いや触れ合いが、
やっと私にとって意味を成すものになってきたというか。
スキ。とか、面白い。とか、楽しい。
だから一緒にいたい
というのじゃなく、
理屈じゃなく、本能的に身体が欲する。
離れちゃイヤ。
とだんだん思えてくる瞬間。
男でも女でも、大事な人になっていく瞬間ってやっぱりシアワセ。
そういう風に思える人が出来るのって、
仕事をしていて上辺の付き合いばかりしてると難しい。
なんて考えていた時期もあったけど、
少しずつ・・・少しずつ・・・。
人は人に加われるのだと。
少しずつ・・・少しずつ・・・。
自分の一部になってくれる人たちがいて。
私が
広がる
大きくなる
どんどん強くなる
ような・・・
なんだか生命力みなぎる新緑のよう。
エネルギーが身体から満ち溢れてるような気がしてくる。
私も誰かの心に加わりたいな。
そんなことを思う、今日この頃です。
春のせいにしてもいいですか?
妄想が芽吹いている。
妄想が飛散している。
そんな感じ。
自分で自分がキショクワリーです。笑
毎日が本当にとても楽しい。
生活がすこぶる快適で、だけど快適すぎる気がするだけに、6月病が怖い。笑
(私の辞書に5月病という文字はない。)
仕事の話。
先日一生懸命考えて引いたラフが、はじめて一発で通った。
ここまで来るのに一年掛かった。
私の上司って、まさに竹を割ったような性格で、厳しいときは本当に厳しいし、妥協もしないのだけど、仕事に対しての取り組み方として、そこがとても共感できるから、認められるとやっぱり嬉しい。
今度は褒めてもらえるように頑張りたい。と思った。
人って、人しだいで本当に高めあえるものだ。
まぁ、その逆もまた然りで、それはそれで学ぶこともあるのだろうが、
先日、環境が本当に良すぎるだけに、「ぬるま湯に浸かり過ぎるな」との、パパンからの忠告。
ハァ〜ドスコイ!って感じですな。
パパン、さんきゅう。初心に返らせていただきました!!
点が線になり、線がカタチになる。ということ。
この仕事って、まさにこの言葉そのものの仕事。
自分の思い描いたものが、いろんなプロの人の手が加わって、だんだんとカタチになっていく様は、見ていてとてもワクワクします。そして、読者に喜んで貰えれば、こんなに嬉しいことはない。
ただただ時間に追われ『こなす』のでなく、追われていても、出来る限りそこに、『息吹』を吹き込んでいきたいもの。そうしていかなければ、ヤリガイなんて感じられる筈がないと思う。
14日。仕事し始めて一年になりました。去年は小岩にいました。今、阿佐ヶ谷にいます。一昨年は別府にいました。
一人で九州を飛び出してきて、一人でガチャガチャ滅茶苦茶やってきたように思うけど、
大事なときに、その都度、自分自身にとっての本物を見つけだしてこられたのは、
やっぱりいろんな人に支えられていたんだなぁ〜。
私が自分に誇りを持つべきトコロは、
自分の能力でも、環境でも、運命でもなく、
周りの『ヒト』なのでしょう。
基本、人間嫌いの私がこんなこと言っても信じて貰えないかもしれないけど。笑
クサイようだけど、何度も言うようだけど、
感謝の気持ちを忘れずに。
距離でなく、精神的に近くにいる人達に愛を持って。
淋しい淋しいと、言いすぎだろ!と、過去のブログ見て気づいた。
てか、今まで気づかなかったのがアホじゃんかい!
かまって欲しいのバレバレやんかい。
多分、常に淋しいんではなく、淋しい時に書きたくなるだけ。
みなさま、こんな「うじゃい」リサに今後とも何卒付きやってやってくださいませ。
今回の生理前の兆候は、ホントに酷かったっす。
食欲、どかーーーんでした。
腹の中、カオス・・・みたいな。
始まってすっきり。
世の中というものは、こんなに穏やかでやさしさに満ち溢れているのか、と。
食べたものはしっかり蓄積された。
まーじで女ってクソやっかいだわ。
先週、安部公房の「砂の女」を読み終わった。
読むだけで咽喉がカラカラになった。
ああゆう一つの架空の世界を、読み手にリアルに感じさせる作家の想像力と文章力に平伏したくなりました。
今、友のすすめで遠藤周作の「女の一生〜キク編〜」を読んでる。
幕末の隠れ切支丹を愛してしまった少女の物語。
長崎は何度も訪れたけど、もう一度訪れたい理由ができた。
行こう。絶対行こう。
雲ひとつ無い空
っていうのを久しぶりに見た気がした。
というより、雲があるかないかすら意識したのが久しぶりなのかも。
その行為を作った偶然の一瞬に感謝。
隣を見ると隣の人も空を見上げていて微笑ましかった。
風邪にになびく柔らかそうな髪。眩しそうに細める瞳。曲線を描いた背中。
睫毛が頬に陰って美しい。
気づかれないように観察して、私はその人の輪郭を縁取り頭の中に映しこむ。
さて、どのようにして生かしたい?
輪郭。
そう言えば、離れていても常にあるその人達の輪郭というものを近頃意識する。
いちいち思い出したり、連絡しあったりしなくても常に私の傍に居る輪郭。
陽炎のようにぼやけているものや、リキテンスタインの絵画ように強烈な線なのに平面的でカラーがスカスカな印象のもの。
いろいろあるけど、確かに残像として私の傍に、あるいは中に息づいている。
いつの間にか、私の一部になっていて無くてはならないものになっている模様。
どうか、みなさん、私の中から消えないでください。
なんて思ったりするのは、すこぉ〜し淋しい証拠なのかなぁー。
3月の初め、その知らせは私を奈落の底へとつき落とした。
私をどっしりと支えていた柱が一気に音を立てて崩れ、腐敗していくかのようだった。
知らせを受けたのは、会社の9階で一番見晴らしのいい場所。
その日はやけに天気が良く、太陽は光の粒子をさんさんと世界に降り注いでいた。
東京タワーの赤さえも、白い光に包まれ空の色と同化してしまう程。
でもその日はそれが、自分だけが世界から見放されているようで、とても哀しかった。
思えば、去年、
『消え入りそうな蝋燭の灯火のようだ』と、
脳の片隅を霞めたあの直感は、
虫の報せだったのかもしれない。
もっと早くに気づいていたかったし、
もっと早くに現実を直視するべきだったのに、と今更ながら思う。
でも今は、前向きに闘っていくことを決意しました。
苦しみや、哀しい現実さえ、最後までネタや冗談のようにして笑っていけるように。
たとえその傷が風化することなく、
忌々しくも、その鮮烈さをいつまでも主張し続けていたとしても、
「大丈夫、大丈夫。」
と明るく振舞い、その灯火が朽ち果てる最期の時まで、
『永遠の嘘』をつき続けていこうと・・・。