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手が、母に似てきた。
何気なく手を組んでみたら、触感が母だったのだ。驚いた!
親子だから似るのは当たり前なんだろうけど、
見た目じゃなく、触感で悟るというのは、よりリアルな確信がある。
組んだ時の力強さというか、温度までが母そのもので、
遺伝子って神秘だけど、なんだかちょっと気味が悪い・・・。
そんなふうにして、からだじゅう、どんどん母に似てくるのだろうか。
驚いたのと同時に、
小さい頃によく手をつないでマルキョウ(近くのスーパー)に買い物に出かけたなぁー
と、昔の記憶が蘇ってきたり。
やさしさに包まれた柔らかな記憶。柔らかな生活。母の手。
母は毎日マルキョウで、1つだけおやつを買ってくれた。
グリコ、ペコちゃんのパラソルチョコ、ビックリマンのウエハースや、スーパーカップ・・・。
だいたい100円までと決まっていて、
ごくたまに、オマケ付きの少しだけ値段の高いものを買ってくれた。
(おもちゃのネックレスのついたやつとか)
母に買ってもらう1つだけのおやつを、毎日楽しみにしていたあの頃。
そんな、やさしくゆるやかにトキが流れていた日が確かに在ったのだ。
あれから何年経っただろう?
いつのまにか私は24才になっていて、
母と手を繋いで歩くことはほぼ無くなったけれども、
肩を並べて歩けば、私の方が歩幅が広くなってしまった。
歩幅の分だけ母が小さく見える。
手を引かれて歩いていたのに、思わず私が引こうとしてしまう。
いつも大きく、絶対的な存在だったはずの親が小さく見えてしまうのは、なんだか心許ない。
年月は経つもので、世代交代は、必ず訪れる。
母も小さくなったけど、私も大きくなったのだ。
だけど、子にとって、親とはいつまでも絶対的で、自分よりも大きな存在で居て欲しいもの。
何とも言いがたく、切ない気持ちでいっぱいになって空を見上げれば、
オリオン座が煌々としていた。
良かった。空はあの頃とちっとも変わっていない。
母の手を取って歩こうとする衝動を抑え、あえて同じ歩幅で同じペースで歩いたあの日。
そう言えば、あの頃の時間の流れは、これくらいの速さだったのかもしれない・・・
こないだの台風は、規模こそ大きかったようだが、
一瞬の夢のごとく、あっという間に過ぎ去った。
過ぎ去った後は、いつもみたく世の中が澄んだ。
会社の8階から見える東京タワーも、いつも昼だと景色と同化してるのに、
その日だけは赤と白が、鮮やかに存在感を放っていて、思わずドキッ。
台風は、空気中の不純物をも、巻き込んで上へ上へと・・・。
私の中の不純物も一緒に連れさってくれればよかったのになー。
心と視線の置き場に迷い、行き着くところの見つからない日々。
が、しかし、今回の台風。
ほんのわずかな夏の余力をも、絡めとってしまったようだ。
外に出れば、暖かな日中でも空気がサラリとしてる。
頬にあたる風、木々の枝や葉の擦れあう音が、なんだか愉快でなんだか切ない。
そしてどんどん淋しくなるんだろう。
どんどん淋しいのが良くなってきて。
悶々するのも考えようによっちゃ良いのだろうか。
もしそうなったら完全に自分に酔いしれて、完璧な幸せ者になればよい!
幻想内の美しき自分と手をつないで泳いだ後、虚構の契約を交わそう。
妄想トレイン暴走中・・・な、徒然なる今日この日。
あぁ〜〜〜