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そう言えば、人の話をじっくり聞いたり話たりということをしていなかったなー
と、昨日、人の話をじっくり聞いたり話したりして帰る時に思った。
人の考えというのはそれぞれだ。
何を思い、どのように行動するかは十人十色。
だからこそ、話し込むと、刺激になって面白いし、異物みたいに思えてイライラもする。
私とアナタは所詮違う。
でも、違った価値観同士、重なりあうところ、ちぐはぐなところ、見詰め合って楽しめたらいい。
頭では分かっていて、私はあまり寄り添うことをしない。
異物は蹴っ飛ばしながら生きてるような気もする。
受け入れることも強さ。
私は、そのへん強くない。
私の周りには人が少ない。
そういうワケだ。
あーーーーあ。
クリスマスイヴじゃないか。
ケーキ食べたいなー。
2人分のケーキなんか買わないんだから!
なんじゃないだろうかと思うくらいに、最近甘いものばかり食べ続けている。
例のアレのせいももちろんあるけど、それにしても食べすぎなんじゃないだろうか。
板チョコ1枚に、クロテッドクリームのたっぷりのっかったスコーン。
を、毎日食べたりしている・・・。
ああああー。でも、なぜだろう?
甘いものを食べ続ける生活が、惰性の象徴のように思えてしまうのは。
やめられないと思うからだろうか?
母のことが気にかかっている。
普通に過ごしているようだが、実際は声を失った人魚姫のように、
足を踏み出すごとに、突き刺すような痛みを味わっているんじゃないだろうか。
静かに呼吸をするように、ひとり過ごしている毎日が、
果たして癒しになっているのか、傷を広げているのか・・・。
いきなりドカンと降りてきた、あまりにも酷な運命と大きな負の遺産。
今の母の行動に違和感を感じる反面、それくらいはいいんじゃないかと思う面もあり。
結局私には、ほうっておくことしかできないのであるけれども。少なくとも今は。
私にいったい何ができるのか。
というより、何もできないんだけれど、
せめて私が今居る場所とか、行動とか、かける言葉とか・・・。
ベストを尽くしているつもりなのに、
少しずつミスを犯しているようなこの気分はいったい何なのだろうか。
仕事が面白い。
周りでは、次々と仕事を辞めてるという話を聞く中で、
こんなに面白いと感じ、続けられるのは幸せなことだと思う。
辛いのさえ、快感に思えてくるなんてねー。
ドM以外の何者でもないわ。
作り上げていく過程の気持ちの入れ方、形になっていく満足感。読者の反応。
来年までに一冊まるごと手がけられたらいいのにな・・・。
一人の人間と、関係を永遠に築いていくというのがあまり得意ではない。
その人に対して尊敬できる部分、苦手な部分。
苦手な部分をすべて受け入れられるほど私は、心が広くないからね。
ぶつかると、逃げるし、避けたくなるんだ。
そうやってぶつ切り状態の関係を、後で後悔する時がくるのかな。
淋しい人間にはなりたくないけどさ。
でもいまはとりあえず、家族がいればなーと思う。
もういない父の穴も含めて思う。
近いうちチャリを買おうと思う。
ベタにクイーンなんか聴きながらさー遠くまで行きたいわ。
正直、豆自体にそんなに拘りはない。
ブルーマウンテンだろうが、モカだろうが、ネスカフェだろうが、
「熱いコーヒーをブラックでいただく」
これが高校生時代からの朝イチの定番だった。
それが、阿佐ヶ谷に越してからというもの、
インド在住の親戚が、バカみたいに紅茶を送りつけてくるので、
近頃、朝はめっきり紅茶党になってしまった。
飲んでも飲んでも無くならないオレンジ・ペコー。
それでも、ついこの間アッサムを飲みつくしたばかりなのに。
貧しい一人暮らしを不憫に思って送ってくれるのは有難いが、
本当は、ガネーシャとかの、みょうちきりんな小物が欲しいんだけどなーなんて。
とりたてて仲がいいわけでもない義理のおじさんに、そんなこと言えるはずもなく・・・。
とは言え、大きめのポットに熱湯を勢いよく注ぐ瞬間は、
何度繰り返しても、毎回、「ああ好きだ」と確信する。
そう、毎朝、毎回、同じタイミングで。
紅茶の葉が一枚一枚ゆっくりとほどかれ、煮出され香りたつとき。
あの幸福感ったら例えようがない。
朝の新鮮ないろんなパワーが、一体化してるとしか思えない。
そんなこんなで余韻にひたっていると、いつのまにか、am9:00
あー会社行かなきゃー・・・。
15分後に乗る中央線の満員電車を、なるべく思い浮かべないようにしながら家を出る。
なーーーんて言っても、やっぱりドリップ中のコーヒーの香りの方が1000倍くらい好きだ。
こないだコーヒー好きに出会い、「ああそうだよ、私も好きだよ」と思った。
久しぶりに豆買おうかな。カルディの安いやつでいいから。